素人料理付き異世界ツアー詐欺 第1話「お好み焼き」  抜けるように青い異界の空の下、俺は豪華客船の甲板で鉄板を広げた。  長く尖った耳をした人、獣の耳が生えた人、2メートル半ほどもの体格を持つ牙が生えた人、いろんな人たちが物珍しそうに眺める前で、鉄板の上に油を敷く。  途端に、ジュワッ……パチパチと油が弾け、独特の焦げる匂いが周囲に広がる。 「おおっ……」  人々がどよめくのは、鉄板料理が物珍しいからではないだろう。  この世界では油が結構高価らしく、惜しみなく油を使った料理は珍しいのだ。  しかし今回は油を惜しむ必要はない。  何しろ俺は「神様」なのだから、油を惜しんでいるようではありがたみがないだろう。  そもそも俺の懐はまったく痛まないし。  ここは雇い主の望み通り、日本の味を披露させてもらうことにする。  生地をさっと鉄板の上に流して広げると、じゅわーっと快音が響く。  27年間を日本で生まれ育った俺にとっては、もうたまらなく食欲中枢を刺激する音なのだが、お客たちには耳慣れない音のようで興味津々に俺の手元を見つめてくる。 「えっと、注文はスピアテンタクルでいいんですよね?」 「そうです」  列の先頭に並んだおじさんのオーダーを確認すると、ちょっと緊張した感じで返事してくれた。れっきとした地球人の俺だが、こちらの世界では神様ということになっているので、粗相があってはいけないと思っているのだろう。  俺は冷却魔法が施された箱から、“スピアテンタクル”と呼ばれているこの世界のイカを取り出す。  既に内臓を外し、足と胴体だけにしてからボイルして、細かく切った状態でクーラーボックスに入れておいたのだ。  イカと乾燥させた小エビを生地の上に並べて、へらを生地の下に差し込み、サッと裏返すと、観客がオーーーッと感心した声を上げた。 「鮮やかだなあ……!」 「すげえよな、さすが神様だよ」  神様と呼ばれるのは恥ずかしいが、ちょっと気分がいい。  ジューッ……と先ほどよりも小さい音を立てて、生地に火が通っていく。  イカがぱつぱつ、と音を上げ始めたら焼き上がりだ。  再び裏返して、ソースで味付けする。  これは俺の“食の神”としての権能で生み出した。  お好み焼きソースをこの世界でイチから作ってたら、とても屋台でお好み焼きなんか出せなかっただろう。本当はマヨネーズと青のりも用意したかったけど……。 「はい、焼き上がりっと」  見事なイカ焼きが出来上がり!  しかしこのままじゃ、箸が普及してないこの世界の人が食えないからな。  俺は棒を取り出し、くるくると生地を巻きつけていく。  このために生地を薄く広げておいたのだ。  中国地方や九州で“はしまき”と呼ばれているタイプのお好み焼きである。  これなら箸もナイフもフォークも必要なく、そのままかぶりついて食べられる。 「へい、お待ち!」  おじさんは珍しい食べ物を見て、恐る恐る口を付けた。  さあ、どうだ?  彼は一瞬硬直した後……目を剥いてガツガツと残りを口に運ぶ! よっしゃ! 「ハフッ、ハフッ……こりゃうまい!」 「マジか!? どんな味だ!?」  周囲の観客が勢い込んでおじさんに尋ねる。 「こんなの今までに食ったことがないよ! 甘くて、酸っぱくて、しょっぱくて……」  そうだろうな、と思う。  お好み焼きの味の源はソースだ。生地や具材の味ももちろんあるが、お好み焼きソースの味はそれらを凌駕する。  この調味料は甘味、酸味、塩味、うまみと、味覚のうちの4つを備えている。  この世界の料理文化はかなり遅れていて、ほとんどの家庭では焼くか煮るかしかないという。そんな食事に慣れた人々にとって、お好み焼きは口中で炸裂する味の爆弾のように感じられるだろう。  おじさんはあっという間に生地を食い尽くすと、名残惜し気に空になった皿を見つめる。 「はあ……すごかった……」 「気に入ってもらえました?」 「はい、こんな美味しいクレープは食べたことありませんよ。生地に練り込んであるキャベツも甘くて……異世界にはすごい味があるんですな!」  クレープじゃなくてお好み焼きなんだけどなあ……。まあ、生地も薄いし、くるくる巻くのがクレープっぽいか。  でも、受け入れられたみたいでよかった。  正直この世界の人たちの舌にはキツいんじゃないかと思って、ソースを少々薄めておいたのがよかったのかもしれない。 「さあさあ、スピアテンタクル以外にも具はいろいろ選べますよ! 豚、羊、牡蠣、野菜、チーズ、好きに選べるのが“お好み焼き”です!」  俺が観客に向かって声を張り上げると、我先にとお客さんが殺到した。 ========================================  休憩時間に自分用にイカ焼きを作って、物陰で食べた。  スピアテンタクルは5センチほどの小型のイカで、地球のイカの剣先部分に鋭い刃を備えている。これが網を切り裂くのでこの港の漁師からはたいへん嫌われており、“海の悪魔”と呼ばれているそうだ。  もっとも俺が食材として渡されたときには、剣先の刃は切り取られていて、ただのおいしいイカになっていた。  このスピアテンタクル、小粒なのだがたいへん味がいい。  小粒で甘みがあるイカといえばホタルイカだが、それよりも甘みが強いのだ。そのぶんうまみはさっぱりとしているが、どんな料理に入れても個性を主張しすぎない。  このイカで作ったお好み焼きは、思わず次々と口に運びたくなる味わいだった。 「結構な盛況ですね」 「あ、月夜見(つくよみ)様!」  涼やかな声にすぐさま立ち上がり、雇い主に頭を下げた。  彼は、俺をこの世界に招いてくれた方だ。  人間ではなく、神様である。極東という国の神様の一柱だが、この世界を統べる統一政府に出向していると言っていた。  一言で印象をいえば、怜悧な切れ者。ビシッと黒の背広を着こなしており、それがまたクールな印象を受ける。それでいて顔立ちは細面で整っており、イケメンだなぁという印象を受ける。  それでいて声のトーンが澄んだ感じで、聞いていてとても心地よい。  まあこんな人が人間のわけないよなー、と思う。 「ありがとうございます! 素材をいろいろ都合してくださったおかげで盛況でした」 「いえ、保坂さんの実力ですよ」  月夜見様はニコニコと笑顔を浮かべて、俺をねぎらってくれた。  保坂月也27歳、国籍は日本、前職はブラック企業の営業部。  俺のことだ。  今はこの豪華客船“宝船”に乗って、世界の津々浦々に地球の料理を広めるのを仕事にしている。といっても、今回が初仕事だが。 「実力なんて……俺、元の世界ではただの料理好きの素人なのに」 「素人だからいいんですよ。あまり上手に凝った料理を作ってもらっても、市井の人じゃ真似できませんからね」 「ああ、確かに」  俺の仕事は料理を人々に伝えることだと、最初に説明された。 「これまでも保坂さんの世界から何人も“食の神”を招きましたし、今回もさまざまな世界から“食の神”に集まっていただいてはいますが……。正直言って、名のあるシェフの方ではうますぎて参考にならなくて。あなたくらいの素人が丁度いい」  それ、褒められているのかどうか微妙だな……。  つまり誰にでも真似できる程度の素人だから雇われたってことだろ?  ちょうど会社を理不尽に解雇されたばかりで路頭に迷ってたから、渡りに船だったが。  微妙な表情が顔に出ていたのか、月夜見様はぽんと俺の肩を叩いた。 「あなたを客人神(まろうどがみ)に招いて正解でした。ぜひ残りの港でも、おいしい料理を披露してくださいね」  そうだな。何を拗ねることがあるんだ。  そもそも異世界に神様として招かれるなんて、料理好き冥利に尽きるじゃないか。  しかも豪華客船で異世界一周クルージングツアー。訪れた港で素人料理を提供するだけで雇われてる間のギャラがもらえるなんて、おいしすぎる話だ。  この方の期待に応えなくちゃな! 「ありがとうございます! 俺、頑張ります!」 「期待してますよ。あ、そうそう……」  月夜見様はポケットから一枚の紙を取り出して、俺に手渡した。 「これ、飲み放題・遊び放題のチケットです。この港に限り、どの酒場でも飲食無料になりますので、よろしければ仕事が終わった後にでも」  おお、これは結構なものを……。 「すみません、こんなものもらっちゃっていいんですか?」  俺が訊くと、月夜見様は人差し指を立てて唇に添え、しーっと音を立てた。  美形の月夜見様がやると、なんかちょっと色っぽい仕草だな……。 「本当は私あてにもらったんですけど、あなたの初仕事へのご褒美ということで。  初めてのお仕事で疲れたでしょう、ゆっくり英気を養ってください」  そんなに期待してもらってるのか……! 「ありがとうございます、ではありがたく」 「ははは、知っての通り大した料理は出ませんよ。まあ、魚介類はおいしいですが。あまり飲みすぎて、明日の船出に間に合わない〜、ということはやめてくださいね」  くすりと笑って冗談を口にする月夜見様に、俺はどんと胸を叩いた。 「任せてください! 俺もこう見えてもうわばみですからね。酒場の酒を飲み尽くしてやりますよ」 「それは頼もしい!」  ――この先、記憶はうろ覚えである。  俺は仕事が終わった後、片付けをアシスタントに任せて早速酒場に繰り出した。  そこではお昼にお好み焼きをふるまったお客がいた。 「おや、神様! お昼はごちそうさまでした!」 「いやいや、来てくれてありがとうな。ここの酒場は初めてなんだ、オススメの酒ってどれかな」 「それでしたらこちらのワインですな。我がバレンシアのワインは世界一ですぞ!」  うん、確かにうまい!   話をしていると、次々と人が集まってきた。 「俺のおごりだ! 親父、みんなにワインをふるまってくれ!」 「ヒャー! さすが神様だぁ!!」 「飲め飲め!」 =======================================  次の日、すっかり陽が上った頃。  俺は港から遠ざかる船の影を見つめ、膝から崩れ落ちた……。